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外伝剣 HIGURUMA
第1話 道中
text しいなけっと / Illust 黒猫工房


 陽射しに揺らめく一本道を、悠馬は独りで歩いていた。

 腰に一振りの刀を差し、赤茶けた長髪を後頭部で無造作に束ねている。ほつれた前髪が、まだ稚さの残る顔に垂れかかっていた。

 一息溜息をつくと、額に浮いた汗を拭った。

 風もなく、音もなく、鳥の囀りすら聞こえてこない。色の飛んだ平坦な景色が延々と続いている。

 まるで黄泉路のようだ、と悠馬は思う。あるいは武士(もののふ)の道。一度足を踏み入れれば、振り返ることも後戻りすることも許されない苛烈な世界だ。

 足に絡みつく陽炎を掻き分け掻き分け進んでいると、遙か前方にちらちらと紅い点が瞬いた。

 悠馬は額に手のひらをかざし、目を凝らす。

 女だった。物詣姿の女が悠馬の方へゆらりゆらりと歩いてくる。

 おおっ、地獄に仏。黄泉比良坂に桃の木だ。あの者にせめて水を一口……。

 しかし、女が近づくにつれて考えが変わった。

 武芸を嗜む者の多くがそうであるように、悠馬もまた相手の立ち振る舞いから出自を察することに長けていた。

 女の歩き方には“間”というものが欠けていた。その足運びは地面を滑っているかのように奇妙だった。

 忍びにしてもあからさま過ぎる。依然として正体が掴めなかった。

 虫の垂れ衣の隙間からは、紅に濡れた唇が覗いている。

 悠馬の行く手を遮り、女が立ち止まった。

 静かな佇まいにも、明らかに道を譲らぬ態度を感じさせた。強情や敵意からではなく、無礼打ちを受けてもかまわないとでもいう風に。

 市女笠に隠された表情は相変わらず窺い知れない。

 悠馬は戸惑った。

 女子供を恫喝してまで道を開けさせる性分ではない。それでも心のうちに浮かんだ直感が、目の前の女に道を譲るのをためらわせていた。

「御子柴悠馬さまですね」

 不意に女が口を開いた。見知らぬ者から自分の名前を呼ばれ、怪訝な表情を浮かべる。

 旅先で幾人かの剣客と手合わせをし打ち勝ってはいるものの、名を馳せるまでにはほど遠かった。

「お師匠さまのお命、頂戴いたしました」

 穏やかでない発言に呆気に取られた。

 やがて、「狂言」と打ち消す思いがじわじわと滲み出る。この女は、俺のことをたまたま見知っていたに違いない。その上でからかっているのだ。

 狂い女という呼び名がふと浮かんだ。

 しかし、悠馬は確信“させられて”いた。女の言葉は、言霊を思わせる強い響きを持っていた。

 全身が、怒りとは異なる感情に逆立っている。

「お師匠が死んだ……」

 ようやく言葉を搾り出した。

「はい。お約束を果たせませんでしたので」

「約束?」

「私を“殺す”というお約束を」

 やはり得体の知れない狂気を孕んでいる。

「ですから、お弟子の悠馬さまにお引き継ぎして頂きたくやって参りました」

「……女は斬らぬ。死にたければ勝手に自害でもしたらどうだ」

「貴方のお師匠さま――石田有堂さまのご遺言でも?」

 悠馬は眉をひそめる。

「石田さまは事切れる寸前、“悠馬ならば、お前を殺してくれるだろう”と」

 紅い口元が初めて緩んだ。

 思わず鞘に手をかけていた。

「さあ、私めを殺して下さいまし」

 女の不気味な気迫に圧され、瞬時に居合いに構える。

 頬を汗粒が流れ落ちた。

 なんて、“深い”間合いだ。目の前に居るはずの女が途方もなく遠くに見える。

 一対一の真剣勝負は、間合いの計り合いで勝負が決すると言っても過言ではない。

 武芸者たちは技術や経験を磨く一方で、己の間合いを見切らせないために様々な工夫を凝らした。

 脚を包む袴は膝の動きを隠し、居合いは納刀した状態で半身に構えることによって、距離感を惑わせる。

 悠馬は全神経を研ぎ澄ませ、間合いを捉えようと試みたが、女には気配がまるで見当たらなかった。

「いかがなさいました?」

 呼吸もせずに口を開く。

「私から参りましょうか」

 予備動作もなく、一歩進んだ。

「それには及ばん」

 悠馬は決意した。

 見切れぬなら、ただ無心に、己の腕を信じて斬り込むまで。

 刀を抜き放つ。

 と同時に、重心を中心に据えたまま右半身を前方へと滑らせる。

 光陰無間流・隠(おに)渡り!

 本来ならば刹那に間合いを詰め、敵を切り伏せる一閃のはずだった。

 悠馬には、二人の間に流れている時間がゆっくりと感じられた。

 女は相変わらず遠く、刃先はいつまでも辿り着かない。

 不意に、風の悪戯か女の意志か、垂れ衣がめくれ上がる。

 悠馬は束の間、女の顔を見た。

 濡れ羽色の振り分け髪に縁取られた白い顔。切れ長の目。そして、どこまでも深い虚ろな瞳……。

 ああ、この世の者ではなかったのか。

 女の足元にひざまずく。

 何十里もの距離を全速力で駆け抜けたような疲労感に襲われ、心の臓がはち切れんばかりに脈打っていた。

 悠馬の技はついに届かなかった。うな垂れ、肩で荒く息をする。

「こ、殺せ」

 女は悠馬に視線を落としている。

「俺の“道”は絶たれた」

 勝負とは、相手の人生の否定だと言ったのは師の石田有堂だった。敗者は、勝者に道を譲らなければならない。それが剣の道を歩む者の宿命だと。

「私は武士(もののふ)ではありません」

 女の声が冷たく突き放した。

「それに、悠馬さまには私との、石田さまとのお約束を守って頂かなくては」

「お師匠を……殺したのではないのか?」

「間接的には。石田さまは心の臓の発作で亡くなられました」

 そうか、お師匠もまたこの女に届かなかったのか。

「生きていれば、新たな道も開かれましょう。悠馬さまには期待しております」

 市女笠の下で薄く笑った。

「私の足元まで及んだ“人間”のお方は初めてですから」

 悠馬の意識が遠のき始める。

「お前の……名は?」

「笹舟――」

 透き通った声を最後に、悠馬の意識は奈落へと落ちていった。



 


  (つづく)  


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