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外伝剣 HIGURUMA
第二話 人外
text しいなけっと / Illust 黒猫工房


 どこまでも深く深く落ちていく。

 虚ろな闇の中を落ちていく。

 ここは笹舟の瞳に似ているなぁ。

 儚げで危うい、この世の者でない女。

 少しでも触れようものなら脆くも砕けてしまいそうなのに、俺の技は一寸たりとも届かなかった……。

 お師匠、俺はどうすればいい?

 生き恥を晒し、笹舟の望みを叶えてやるべきか。

 それとも、潔く剣も命も捨て去るべきか。

「うわ言だ」

「寝言よ」

「どうする?」

「どうしょう?」

「水でも飲まそう」

「飯でも食わそう」

 喉の奥に水が流し込まれた。

 口の中に握り飯が突っ込まれた。

「ぐぼぼっ! がふっ!」

 悠馬はむせ返り、奈落の淵から飛び起きた。

 隅々まで手入れの行き届いた客間らしき部屋で、布団に寝かされていたことに気づく。

 床の間には見事な蓬莱山の掛け軸が飾られていた。

「生き返った!」

 右隣で、十にも満たないであろう稚い少年が歓声を上げた。

「起きただけよ」

 左隣で、十にも満たないであろう稚い少女が冷ややかに言った。

「このガキども、なんてことしやがる!」

 口元を拭いつつ、左右に座る子供たちを交互に睨みつける。

「うん? 双子か」

 性別こそ違うものの、顔立ちも背丈も瓜二つだった。ただ、少年は屈託のない笑顔を浮べ、少女の表情は取り澄まされている。

 二人は音もなく立ち上がると、軽やかな足取りで悠馬の正面に合流する。

「おいらは右蝶」

「あたしは左蝶」

 お互いの両の手のひらをぴったりと重ね合わせた。その様子は二人の着物を締めている大きな蝶結びと相まって、一対の翅に見えた。

「笹姫さまに頼まれた」

「舟姫さまにお願いされた」

 笹舟の仲間……。言われてみれば、どこか浮世離れした雰囲気が似ていなくもなかった。

 着物から覗く手足の色素がやけに薄い。

 それにしても“姫”さまか。ちらりと笹舟の物詣姿が脳裡を過ぎる。

「で、何を言いつかってきたんだ?」

「「悠馬さまが莫迦な真似をしないように見張ること」」

 重なり合った二人の声に、悠馬は言葉を失った。

――それとも、潔く剣も命も捨て去るべきか。

 ふん。全てお見通しか。

 苦笑いがこぼれる。

「お目覚めになられましたようで」

 襖が開かれ、こざっぱりとした身なりの老人が顔を出した。笑顔に疲れが滲んで見える。

「貴方は?」

「名主の彦佐と申します」

「これは……」

 悠馬は居住まいを正した。

「俺は御子柴悠馬と申す者。素性も知れぬ浪人風情にこのたびのご親切、誠にかたじけのうござります」

「御子柴さま、どうか面をお上げ下さいませ。私どもこそ、“名高き剣士さま”をお迎えできた僥倖に喜んでいるのでございます」

「はっ?」

 寝耳に水だった。

「昨晩、御子柴さまがお休ませになられている間、そちらのお供の方から、数々の武勇伝をお聞かせ頂いております」

 先ほどの姿勢のまま微動だにしていなかった右蝶と左蝶が、彦佐に視線を投げかけられると、すばしっこく左右に分かれ、それぞれ悠馬の脇に畏まった。

 こいつら、何を吹き込みやがった。

 横目で二人を窺うと、そ知らぬ顔で正面を見つめている。

「山神を騙り贄を所望する狒々、嫁取りを迫る大蛇の化身、国を股にかけ人心を惑わす妖狐……、語り尽くせぬほどの人外のモノを討ち取られたとのこと。いやはや、感服の至りでございます」

 彦佐は遠い眼差しで右蝶と左蝶が騙った話を思い出し、枯れた肌に興奮の色を浮かべていた。

「いや、俺は……」

「御子柴さまならばきっと、あの“火車”さえも」

 忌まわしい名前を口にし、ハッと我に返る。彦佐の表情に影が差した。

「かしゃ?」

「はい。火の車と書いて“火車”と申すのでこざいます……」

「詳しくお聞かせください」

 一度は捨てようともした剣客の血が騒いだか。それとも、人外のモノに魅せられてしまったか……。

 悠馬は腑抜けになりかけていた腹の底に括を入れた。

「それでは、私どものお力に……」

「まずはお話を」

 ぴしゃりと遮られ、彦佐は一瞬覗かせた喜色を渋々引っ込めた。

「火車が、村人を攫うのでございます」

 少し間を置き、重い口調で語り始めた。

「俄かに黒雲が垂れ込めたかと思いますると、毛むくじゃらの太い腕がにゅうっと突き出し、亡き骸を攫ってしまうのでございます」

 それっきり口を閉ざすと、乾いた唇をわななかせた。

 ……助けを請うている割には端折っているな。

 悠馬の直感が、笹舟と対面したときと同じ不穏な空気を感じ取っていた。

 口にするのも恐ろしいのか。恐怖を植えつけないための配慮なのか……。

 腕を組み考え込む。

「一宿一飯の恩に報いるためにも、ぜひお力になりたいとは思うのですが……」

「何かご不都合でも?」

 彦佐が不安げな面持ちで尋ねてくる。

「死人が出るまで待つわけにもいきますまい」

「そのようなご心配には及びません」

 皺の刻まれた表情から緊張がほどけていく。

「すでに間に合っております」

「……どういう意味でしょう」

「いえ、たまたま昨日に亡くなった者が」

 不適切な発言を取り繕うように深刻な顔つきになった。

 たまたまか……。都合の良過ぎる状況が腑に落ちなかった。

「これは修行」

 右蝶が囁きかけてきた。

「これは鍛錬」

 左蝶も後を追う。

「「人外のモノを探し出し、悠馬さまと手合わせさせるのがもう一つのお役目」」

 背筋に冷たいものが走った。もし、彼女が手段を選ばないとしたら……。

「まさか、村人を手にかけたのか?」

「おいらは殺してないよ」

「あたしも殺してないわ」

 人形のような面差しからは真偽のほどが読み取れなかった。

「人の道を踏み外した者は、人であって人でなし」

「空と時を越え、人外は人外を惹きつける」

 笹舟に破れて奈落に落ちた俺はもう人ではないとでもいうのか。

 もしくは、出会ったあの瞬間から。

 目の前に笹舟の紅の色がちらついた。目をしばたいて幻影を振り払う。

 表情には決意が漲っていた。

 道が用意されていようとも、踏み固めるのは己の足だ。俺は俺の道を築いてみせる。

 武士もののふの魂に火が点った。

「火車の一件、俺たちに任せて頂きましょう」

「おおっ、ありがとうございます」

 待ち侘びた言葉に安堵の溜息を漏らすと、彦佐は深々と頭を下げた。



 


  (つづく)  


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