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外伝剣 HIGURUMA
第三話 生屍
text しいなけっと / Illust 黒猫工房


 

 夜空は晴れ、月がさやかに影を落としている。

 水を湛えた広大な田んぼには青々とした稲が止葉を尖らせ、秋の豊作を約束するかのように風に吹かれてさんざめいていた。

 一方で、畦の浮島に建つ農家の一軒一軒に目を移せば、茅葺が禿げ、軒は傾き、壁板も朽ちて、本当に人が住んでいるのかも疑わしい有様だった。

 庭は我が物顔に蔓延る雑草に埋もれ、屋根に押し潰された家畜小屋は沈黙を守っている。

 悠馬が初めて目にした村の光景は、豊かさと貧しさがちぐはぐに縫い合わせされた奇妙なものだった。

 彦佐の態度にも不自然なところが多かった。

 亡き骸が安置されているであろう農家の警護を申し出れば、

「火車はまず村に現れますので」

 と丁寧に断られてしまった。

「狐狸にでも化かされているみたいだな」

 悠馬は村を見渡せる高台に立ち、両脇に佇む右蝶と左蝶に話しかけた。

「狐より性質が悪いかもしれないよ」

「狸より性質が悪いかもしれないわ」

 二人は、全てを把握しているようだった。

 やれやれ、俺だけが蚊帳の外か。悠馬は小さく欠伸を漏らした。

 そのとき、厭な臭いが鼻腔を掠めた。

 腐った肉を思わせる不快な臭いが、どこからともなく漂ってくる。

「来るよ」

 右蝶が僅かに視線を動かした。

「もう来たわ」

 左蝶が村の入り口を顔を向けた。

 悠馬が目を凝らすと、夜よりも黒々とした“塊”が村に差しかかるところだった。漆とも煙ともつかないどろどろとした闇がわだかまっている。

 悠馬は鞘に手をかけ、走り出していた。

 右蝶と左蝶は高台に留まり、村の中を駆け抜ける悠馬の後ろ姿を見守っている。

 村の入り口が近づくにつれ、厭な臭いが強くなる。

 悠馬は息一つ乱さず、“塊”の正面に立ち塞がった。

「お前が“火車”か!」

「いかにも!」

 大音声が轟くと、闇の中から剛毛に覆われた丸太ほどの腕がぬっと突き出される。口の端から焔を吹き出し、巨大な猫を思わせる二足立ちの獣が姿を現した。

 炯々と光る眼差しに射られ、然しもの悠馬も思わず怯む。

「武士もののふよ。大方、名主に泣きつかれたのであろうが、」

 口の端を吊り上げ牙を覗かせた。

「“あの”連中のために働いても割に合わんぞ」

 火車の背後の闇が渦巻いた。炎に包まれた片輪の荷車が、独りでに車軸を軋ませて現れる。

 悠馬の目が大きく見開かれた。

 荷車の上には、多くの痩せこけた人間が積み重ねられていた。

 いや、あれは亡き骸だ。目は落ち窪み、黒ずんだ肌が爛れて溶けている。

 悠馬は顎を滴る汗を拭い取った。

「死して尚、動き続ける生き屍かばねを集め、地獄に届けるのがわしの役目」

――すでに間に合っております。

 彦佐の言葉が蘇る。どうりで名主しか姿を見せぬわけだ。亡き骸の警護をさせぬわけだ。

 火車の話を聞いたときにも曖昧な印象を受けていた。

「ここは死人の村というわけか」

「そうだ。名主の奴めが使役しておる。この村の恩恵は、疲れを知らぬ生き屍どもの賜物よ」

 悠馬は落ち着きを取り戻すため、大きく息を吐いた。

 なるほど、確かに狐狸なんかよりも性質が悪い。

「それでも邪魔立てするのであれば、生者とて容赦はせぬぞ」

 口の端から焔を燃え滾らせ、一層鋭い眼光で睨みつけた。

 悠馬は目を瞑った。瞼の裏に映るのは途方もなく遠い笹舟の姿だった。

 再び開かれた瞳には、強い意志が宿っていた。

「望むところだ。御子柴悠馬、一剣客として一手ご指南を受けたまわりたい」

 静かに居合いの構えを取る。

「人とはどこまでも愚かなものよ……」

 四肢の爪を地面に突き立て、火車もまた身構えた。

 悠馬は間合いを計る。笹舟のときとは違い、火車の姿は遠くに感じられなかった。

 代わりに、先ほどまで圧倒的な存在感を放っていた巨躯がおぼろげに揺らめいて掴み所がなかった。

 じりじりと間合いを詰めていく。

 悠馬には、もう畏れも迷いもない。

 鞘内で刀を滑らせた。

 刀身が抜き放たれるよりも疾く、火車の爪が懐に飛び込んでくる。

 悠馬は抜刀の勢いを保ったまま体を捻ってかわし、倒れ込むと、宙に浮いた仰向けの状態から刀を切り上げた。

 光陰無間流・鯉爆ぜ!

 手応えがなかった。切り裂かれた火車の姿がおぼろに掻き消える。

「くっ!」

 背中から地面に倒れ込んだ悠馬の瞳に、空高く跳ぶ火車が映る。

 殺られる?!

 鋭い爪が振り下ろされ死を覚悟したとき、火車が二つの影に弾き飛ばされた。

「右蝶見参!」

「左蝶推参!」

 身のこなしも軽く、悠馬の両脇に降り立つ。

「こんな無様な姿、笹姫さまに見せられないね」

「こんな無様な姿、舟姫さまにお話しできないわ」

 二人はやれやれと首を左右に振った。

「……一応礼は言っとくぜ」

 悠馬は冷や汗をびっしょりと掻いていた。

「童が呼んでいるのは、笹舟のことか?」

 ゆらりと火車が立ち上がった。

「……知っているのか?」

 地面に刀を突き刺し、悠馬もまた立ち上がる。

「ふん。あの女も生き屍の一人よ」

 ふと遠い目になる。

「……わしの手には負えんがな」

 笹舟の正体を聞いても、悠馬は別段驚きはしなかった。まぁ、そんなとこだろうなと平静でいる自分が妙に可笑しかった。

「何を笑っている?」

 火車が怪訝な顔をする。

「なんでもないさ。それよりも――」

 刀を鞘に納め、再び居合いに構えた。

「もう一手、ご指南頂こうか」

「“お前”とはすでに勝負がついている」

「いや、まだ“絶たれて”いないぜ」

 悠馬は不敵に笑った。




  (つづく)  


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