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外伝剣 HIGURUMA
第四話 外伝
text しいなけっと / Illust 黒猫工房


 そう、俺の道は笹舟へと繋がっている。こんな入り口でつまずいていては、永遠に彼女に辿り着けやしない。

 悠馬は火車の手にかかりそうになったときに実感した“死”を思い出していた。

 笹舟に突き落とされた奈落も含め、短期間で生死の境を二度も経験したことになる。

 人が人外のモノに勝てないのであれば、笹舟のように生き屍にでもなってやるさ。

 深く深く意識を沈める。虚ろな闇の中へどこまでも深く……。

「むっ」

 火車が悠馬の異変に気づいた。

 呼吸が止まっている。居合いの構えのまま体が硬直し始め、目からは光が、肌からは血の気と張りが失われていく。

「悠馬さまが死んじゃう」

「悠馬さまが亡くなっちゃう……」

 右蝶と左蝶の声が、火車の焼け焦げるような威圧感が、腐臭が、葉擦れが、風の心地が、感覚に訴えかけてくるありとあらゆる刺激が遠のいていく。

 笹舟はこんな世界で生きているんだな……。

 そして――悠馬は自分自身を空から見下ろしていた。

 火車が身構えるのが見えた。

 おぼろげで掴み所がなかった姿が、今では筋肉のうねりや逆立つ毛の一本一本まで、はっきりと捉えることができた。

 四肢を踏ん張り、地面を蹴る。自分に向かって腕が薙ぎ振るわれる。

 あらゆる景色がゆっくりと流れていた。

 さて、この技をなんと呼ぼう。

 やはりここは“指南”の名前を拝借するべきか。

 光陰無間流“外伝”・火車ひぐるま――悠馬の意識が肉体に戻り、抑圧されていた生命力が一気に爆発した。

 本能で抜刀した勢いのままに高速で回転を繰り返し、火車の脇を通り抜ける。

 悠馬が気がつくと、刀を振り抜いた姿勢で、火車の背後に踏み止まっていた。

「人を捨て、人外を討つとはな……」

 火車の脇腹が裂け、巨躯が前のめりに崩れ落ちた。

「げほっ! ごふっ!」

 肺に大量の酸素が流れ込み、悠馬は激しく咳き込んだ。心臓が早鐘を撞くように高鳴り、全身に血液を送り出している。

 勢いに任せて尻餅をついた。

「生き返るのも楽じゃねーな」

 疲労を滲ませ、弱々しく笑った。

「悠馬さまが勝った!」

「悠馬さまが勝った!」

 右蝶と左蝶が歓声を上げ、悠馬の周りを飛び跳ねた。

「まだ喜ぶのは早いぜ」

 村の方を向いてあぐらをかいた。

 彦佐を先頭にぞろぞろと畦に群れをなし、おぼつかない足取りで村人たちがやってくるところだった。

 手にはそれぞれ鍬や鋤を携えている。

「お見事でございます」

 悠馬の前で頭を下げた。背後に控えている村人たちの目は虚ろで、骨と皮ばかりに痩せ細っていた。着物は破れ、泥土にまみれている。

「これで村は安泰――と思いたいのですが……」

「なんだ?」

「火車が一匹だとは言い切れないのでございます」

 彦佐の目が怪しく光る。

「もう用心棒はご免だな」

 肩を竦めると、刀を鞘に収めた。

「それでは仕方がございません。御子柴さまにも村の一員になって頂きましょう……」

 村人たちが農具を構えた。

「右蝶、左蝶。なんとかなるか?」

 平静を装っても、仮死状態を体験した悠馬には、もう余力が残っていなかった。

「私がお引き受けいたします」

 冷々とした声に、悠馬の頭上を通り越して見つめる彦佐の表情が強張っていた。

 振り返った悠馬は、案の定、笹舟の姿をそこに見た。

 以前の物詣姿ではなく、水干と切り袴の白拍子装束を身に纏っている。腰には白鞘巻の刀を一振り差していた。

 月明かりに照らされ、椿油が匂い立ちそうな長い黒髪は艶めき、肌の白さが一層際立っている。

「笹姫さま!」

「舟姫さま!」

 右蝶と左蝶が子供らしい無邪気さで、左右の袖にしがみついた。

 二人の頭をいとおしそうに撫でる柔らかな表情が意外で、悠馬は思わず見惚れてしまう。

「あ、貴女さまは?」

 戸惑う彦佐を、笹舟は静かに見据えた。

「名主よ。もうその者たちを開放してあげるのです」

「……しっ、知ったような口を利くな!」

 好々爺然としていた彦佐の顔が、見る見るうちにどす黒く染められていく。

「知っています。存じています。この土地が旱魃と飢饉に立ち続けに見舞われ、多くの人々が亡くなったことを」

「……だが、お上は何もしてはくれなかった。人手もないのに年貢は増すばかり。だから私は……あのお方に……」

 苦渋の表情でひざまずいた。

「骸行者(むくろのぎょうじゃ)」

 笹舟がぽつりと呟いた。彦佐が驚いて顔を上げる。

「あのような外法の呪術師にすがった貴方の気持ちも分からなくはありません。しかし、“呪”は扱う者の心までも闇に染めてしまう」

 悠馬は彦佐と村人の生活を思い出し、目を閉じた。

「ですから、断ち切ってしまわねば」

 笹舟が柄を握る。

 次の瞬間、刀身を鞘に収める音とともに、彦佐の袂が裂け、真っ二つになった干し首が転がり出た。枯れ果てた頭は苦悶の表情に歪んでいた。

「ひぃぃ!」

 袂の切れ端を見て初めて斬りつけられたことに気づき、腰を抜かした。

 地面に落ちている干し首の状態に目を見張ると、慌てて後ろを振り返った。

 村人たちが糸が切れたように倒れ臥していた。

「わ、私の村人たちが……」

 わなわなと骸の山に向かって這う彦佐の姿を、笹舟は悲しそうに見つめていたが、

「火車さま!」

 凛と声を張り上げる。

「言われるまでもない。“呪”で穢れた亡き骸は、わしが責任を持って浄化してやる」

 悠馬が顔を向けると、いつの間にか火車が立っていた。

 脇腹の傷が赤い線となって残っている。

「狸寝入りしていたのかよ」

「ふん。あの程度でくたばるものか」

 唇の端を吊り上げ、悠馬に向かって牙を覗かせた。

 火車は、呆然と座り込んでいる彦佐に歩み寄ると、爪の先で軽々と摘み上げ、顔の間近で睨みつけた。

「もう莫迦な考えを起こすなよ」

 気絶した彦佐を水田に放り投げ、周囲を見渡す。

「こうもあっさり“呪”を破られると、散々苦労したわしの立つ瀬がないな……」

 累々と横たわる亡き骸に溜息をついた。

「まぁよい。笹舟よ、今回の件については礼を言っておこう」

 車軸を軋ませ、片輪の荷車が火車のもとに寄り添った。

 火車を中心に闇が垂れ込める。どろどろと闇が周囲を覆い尽くしたかと思えば、今度は逆回しに凝縮して空中の一点に消えてしまった。

 後には青々とした稲が清涼な風になびいているばかりだった。

「やっと終わったな」

 悠馬は伸びをすると、そのまま後ろに倒れ込んだ。

 大の字になった悠馬の傍らに笹舟が立つ。その口元は穏やかな笑みを形作っていた。

「いかがなさいます」

 口調は挑発的な含みを帯びていた。

「今夜は止めとくよ。疲れているし、それに――」

「それに?」

「まだあんたには届かない」

 二人の視線が絡まり合う。先に目を逸らしたのは笹舟だった。

 相変わらず気配も立てず、悠馬を後にする。

「右蝶と左蝶を、宜しくお願いいたします」

 澄んだ声を残して掻き消えた。

「ヨロシクだってよ」

 笹舟が消えた虚空を、どこか寂しげに見つめている二人に声をかけた。

 右蝶と左蝶は悠馬のもとに駆け寄ると、それぞれ両脇に寝転がった。

「さて、次はどこに連れていかれるんだ?」

「北にしよう」

「南がいいわ」

「じゃあ、西にしてくれ」

 俺たちの旅はまだ始まったばかりだ。

 その果てに待っているのは誰の幸せなのか。

 悠馬は見上げる夜空の星に、笹舟の姿を探した。




  (終)  


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